神経症とは「重大な真理を受け入れることを拒否すること」である。
— 加藤諦三bot @心理学 (@katotaizobot) 2021年6月29日
この定義でいけばマルクス主義とかは神経症的なのかもしれないですよね。人間は「働く喜び」だけで働くのではありません。がんばった分だけお金が儲かって地位や名誉が得られるから、がんばって競争すると言う点をマルクス主義は見落としています。
人間は欲深い存在なのだという重大の真理を受け入れることを拒否していると思えます。
私が受け入れにくいなと思っている重大な真実は、人間は生まれながらにして不平等で努力しても挽回できないぐらい差がついている、という点です。
努力でこぎれいな身なりをすることも年収を伸ばすことはできます。知性や人間性も磨くこともできますが、身長を伸ばしたり容姿を良くしたりすることはできません。それらのほとんどは遺伝だからです。しかし身長や容姿で人の幸福もかなり左右されるというのも現実にあると思います。ぶっちゃけていえば長身で容姿が良いとモテますからね。
自分の努力でどうにかなるものだけに責任をもち、それらで人間が評価されるなら、みんな懸命に努力するだろうし理想的だな思います。でも現実は違っていて、自分の努力ではどうにもならない身長や容姿で評価されることも多々あります。
もっといえばどの人種に生まれるかでかなり人生も違ってくるでしょう。
人種によって就業機会や参政権など法律的な権利が違ってくるのはダメだと思いますが、人種によって体格や容姿の美しさが違うのも現実なので、それによる差というのはどうしても出てくるんじゃないなと思います。それが現実。
人生は与えられたカードの範囲内でできるだけ有利にゲームを進めるように努力するしかありません。だから遺伝的なものをなげていている暇があったら努力でどうにかできることに注力するのがベストな戦略だと思います。しかしそうした努力をしても、遺伝的な不利が挽回できないかもしれないのも現実かなと思います。
遺伝的に不利な人も幸福になりうるがその確率は相対的に低くなるというのが現実でしょうね。
↓↓↓こちをらのブログも是非ごらんください。